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フィリピン留学

【フィリピン留学】バギオで食中毒になり一週間苦しんだ話

こんにちは。もち(@moti_1126)です。

気づけばニュージーランドのワーホリ生活も丸5ヶ月が経過し、NZの前に滞在していたフィリピンの4ヶ月よりも長くなっていました。

しかしフィリピンの生活は今でも色鮮やかに思い出すことができます。

楽しかった思い出、美味しかった思い出と素敵な思い出も沢山ありましたが、一方で英語の勉強に悩んだり、食中毒に苦しめられたりとそうではない思い出もいくらかありました。

過ぎ去った今では全部が良い思い出になっているのですが、それでもやっぱり食中毒だけは絶対に二度となりたくない!!と思ったので、自分への戒めも含めて軽く経緯を書き残しておこうと思います。

ちなみに初めてなった食中毒のハイライトはこんな感じでした。

・通訳してくれる人がいなくてドクターの英語が分からない
・現金のみ!所持金が足りなくて入院できない
・点滴をビニールに入れてお持ち帰り
・学校の先生に点滴を打ってもらう
・一週間ほどまともに授業が受けられなかった

フィリピンで滞在していた場所

まず、私がフィリピンで滞在していた場所はフィリピンのバギオという場所でした。

フィリピンの中では首都であるマニラを挟んでセブ島とは正反対の場所で、気温は通年20度前後とそこまで暑くはありませんでした。

私はバギオの語学学校に4ヶ月ほど通っており、食中毒になったのはその到着して3週間も経たないうちのことでした

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食中毒になった経緯

食中毒になった経緯は『恐らく』学校の夕食で出された揚げ物を食べたことです。

『恐らく』とつけたのは原因が明らかにはされなかったからなのですが、私が食中毒になった時学校では15人以上が同時に食中毒に倒れていました。

特に日本人はほぼ打撃を受けていて、無事だった生徒たちはその日の夕食を食べなかった生徒ばかりという状況でした。

学校の先生曰く、『夏にはたまにこういうことがある』ということですが、それってどうなの…?と思ったことを覚えています。

一応学校の食堂には改善令が出されたみたいですが、学校の食事だけには限らないと思いますので夏季の食事には注意が必要かもしれません。

食中毒の症状

実際に私が体験した食中毒の症状ですが、分かりやすく『嘔吐/下痢/脱水症状』です。

熱については病院で一度測った限りでは、さほど高熱は出ませんでした。

期間は最初の2日ほどがピークで、あとは下痢や気持ち悪さ、気だるさを1週間ほど引きずります。

実録!初めての食中毒

※一部表現にあからさまな箇所があります。

まず覚えているところからですが、食中毒になったのは3月後半の日曜日の夜でした。

日曜日の夕食を18時頃普通に食べ、異変を感じたのは夜23時過ぎでした。

部屋のベッドでゴロゴロ寝転がっていたのですが、本当にいきなり気持ちが悪くなってトイレに駆け込んで吐きました。

私は学校の寮で3人部屋だったので、ちょうどルームメイト二人が帰ってきたところだったのですが、私がいきなり吐いたので二人ともとてもびっくりしていました。

吐くこと自体は酒を飲みすぎた時や二日酔いなどで慣れていたので、よく分からないけど一度吐けば楽になるかな?と気楽に構えていたのですが、吐いた後も気分が楽にならない。

その後1時間ほどの間に5,6回ほどトイレで吐き、風邪かな、寝れば治る!と無理やり寝付いても夜中や明け方に吐き気で目覚めては戻していました。

明け方になって、さすがにこれはただ事ではないと思い学校にいる日本人のマネージャーに連絡したところ、こんな回答が。

マネージャーさん
マネージャーさん
実はもちさんの他にも倒れている生徒さんが複数人いらっしゃいます。朝になったら学校の先生と一緒に病院に行ってください!

他にも倒れている生徒がいるということをこの時初めて知りました。

ちなみにこの時この日本人マネージャーさんはすでに他の生徒さんの付き添いで病院に行っていました。

私の同期で日本人大学生の男の子だったのですが、私よりも重症で夜のうちに救急車で運ばれていたんですよね…大変そうでした。

朝になり、学校の保健室でぐったりしているうちにもう一人日本人の女生徒が保健室にやってきました。

彼女も私のバッチメイトだったのですが、同様に食中毒に当たったようで、彼女と学校にいたフィリピン人の先生と一緒に病院へタクシーで向かいました。

バギオのローカルな私立病院『バギオ・メディカル・センター』

お世話になったのはバギオの私立病院『バギオ・メディカル・センター(BAGUIO MEDICAL CENTER)』です。

といっても、私ももう一人の生徒もタクシーに乗せられた時点でぐったりとしており、どこに向かったのかも殆ど分からない状態だったのですが。

この病院にはフィリピン人の先生が連れてきてくれました。

バギオには総合病院や市立病院もあるので、そちらの方が病院の料金は安いのですが、後から聞いたところこんな理由でこの私立病院を選んだそうです。

『市立病院はとにかく混むから、今回は緊急事態だったから高くても私立病院に来た』

連れて行ってとってもありがたかったのですが、この後ものすごく後悔することになります。

病院:BAGUIO MEDICAL CENTER(バギオ・メディカル・センター)
住所:Kennon Rd, Baguio, Benguet, フィリピン

ドクターの英語が分からない!

私立病院とはいっても、このバギオ・メディカル・センターはローカルな病院なので、当然日本語ができる医療の通訳スタッフなどはいませんでした。

ここで記しておきたいのは、私が食中毒になったのは語学学校に入って3週間しないうちのことだったということです。

この時点で私の英語力は自分の状態を伝えるのが精いっぱいであり、『(指が)麻痺する(Paralysis)』『吐く(Vomit)』『下痢(Diarrhea)』などという単語もこの時初めて辞書で調べたレベルでした。

そして同様に食中毒にかかっていた日本人女生徒は私以上に英語が分からない状態でした。

結果どういう状態を引き起こしたかと言うと、『ドクターの英語が分からない』

ドクターが何かを説明してくれるのですが、色々専門用語が多くその上早くてフィリピン語の訛りが強くて分からない。学校の先生が噛み砕いた言葉で説明してくれたものは理解できたのですが、そもそも先生もフィリピン人で英語しか話せなかったため苦労しました。

その時初めて心底『英語ができないとこういう時に詰む……』と気持ち悪さで呻きながら思いました。

ネットや電話が使えればよかったのですが、病院の中でWi-Fiも飛んでおらず、日本人マネージャーは救急車で搬送された別の子に付き添っていたために全く連絡が付かなかったんです。

もしもあの時同様のケースが起こるならば、必ず下記のことをします。

・SIMカードを買い、Wi-Fiが拾えないところでも電話できるようにしておく。
・オフラインの英和辞書をダウンロードしておく。

現金のみ!所持金が足りなくて入院できない!

先生に診断された結果、『食中毒だからとりあえず一日入院して、赤痢とかの検査も受けてね』ということに一度は落ち着きました。

しかし、その後が問題で、これもローカル病院ならではかもしれませんが支払いが現金しか使えなかったんです。

しかも一泊入院するなら値段は1万円は余裕で超えるとのこと。

私も他女生徒もフィリピン人の先生も、朝一で出てきたのでまさか入院するようなことになるとは思わず、お金も日常使う範囲のお金しか持ってきていませんでした。

お金がないので入院はできず、さらにお金がないので検査も最低限、結局診察と抗生剤と点滴のみを貰って帰ることになりました。

本当は点滴も病院で受けるはずだったのですが、病院で受けるとその準備諸々にお金が掛かるということで持ち帰りました。

もち
もち
人生で点滴を受けることになったのは初めてでしたし、点滴をビニールに入れて持ち帰ったのも初めてでした…

ちなみに体調は病院を出ても一向に良くならず、帰りのタクシーでも道端でタクシーを止めてもらって吐いたりしていました。

食中毒に対して病院で処方された薬

病院で処方されたのはこれらの薬です。

先生曰く、吐き気止めや抗生剤とのことでした。

およそ2週間近く飲んでいた薬もあります。

フィリピンの薬って粒がとても大きいんですよね。日本にいた時も殆ど薬を飲まない生活をしていたので、一瞬大丈夫かな?とも思ったのですが、もはや立つことすらできなかったので大人しく飲んでいました。

現地の病は現地の薬の方がよく効くかなと思ったので…

ローカルな私立病院で食中毒診断:診察と薬のお値段は?

この病院で受けたものは『診察・薬数種類・点滴(持ち帰り)』でしたが病院の料金は『約6,900円』でした。

私立病院だからちょっと値が張った部分もあると思うのですが、これで一晩入院していたらいくらしていたんでしょう…

ちなみに私たちの中で一番重症だった日本人大学生の男の子は『救急車+入院一泊』で約3万円以上支払ったとのことです。

彼が行ったのは比較的安価な市立病院だったと聞いたのですが、すごいですね…

海外旅行保険のために!レシートと診断書は必須!

食中毒になったのは不幸な出来事でしたが、不幸中の幸いというべきかこの件は自分の入っている海外旅行保険でカバーされる案件でした。

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とりあえず病院でドクターに下記書類を作成してもらいます。

保険適用に必要となる書類

・医師の診断書
・料金の領収書

随分な達筆でしたが、とりあえず金額と名前だけ間違っていなければ問題ありません。

こういう時のために海外旅行保険は必要だな、と思いました。

合計1週間ほど寝込んでいた話

病院から帰ってきてからは、学校の先生の持参した点滴を打ってもらいました。

この頃になると上からも下からも色々出すぎて、脱水症状が大分進んでいたんだと思います。

脱水症状がひどくなると指先が冷たくなって痺れるということを始めて知りました。

点滴を打ってからは一時的に気分が回復したのですが、その後もなかなか回復には至らず、完全に授業やその後も含めて復帰できたのは1週間ほども後のことでした。

ああ休んでしまった授業がもったいない…

まとめ

大分長くなってしまいましたが、今回自分の身で経験して初めて『食中毒は身体が極度に衰弱する』ということを思い知りました。

正直なところを言うと、今まで東南アジア中心に10ヵ国近くを旅してきて、インドなどに行った時もお腹を壊すこともなかったのでフィリピンを少々甘く見ていたということもあります。

しかし食中毒、本当に怖いです。

今となっては思い出の一つですが、もう今後二度となりたくないと切に思いました。

東南アジアなど暑い地域に行くことがあれば、露店や水などには重々注意せねば。

一方で、この経験があったからこそ英語の重要性も切実なものとして体感できたので良かったです。

良くも悪くも、貴重な経験でした。